エゴは「私が正しい」「正しくあろうとする」というプログラムがあることを前回書きました。
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エゴは善悪思考
エゴは白黒に分ける白黒思考を持っています。
二極化思考とも言えます。
もっと分かりやすく言えば善悪思考です。
物事を善と悪に分類することを自然にやります。
これはいい、これは悪いと判断します。
自分に都合がよいものを善とする
善に分類します。
自分に不都合なものは悪に分類します。
価値観の善を目指す
あと、自分の価値観にも左右されます。
「人に迷惑をかけるべからず」という価値観を持っていれば、迷惑をかける人がいれば悪に分類します。
「努力するのが美徳」という価値観を持っていれば、がんばる人が善で、がんばらない人や怠けている人は悪に分類します。
価値観は自他の両方に当てはめる
これは他者だけではなく、当然自分にも当てはめます。
自分が怠けていると、罪悪感が出てきます。居心地の悪い感覚になります。
「怠けてはいけない」という価値観が強い人は休み下手です。
そのため、慢性的にがんばりすぎで、疲れがたまっている状態です。
価値観がたくさんあるほど善悪がたくさんある
自分の持っている価値観がたくさんあるほど、善悪はたくさんあることになります。
価値観が強いほど善悪が強い
そして、その価値観が強いほど、つまりそのルールの縛りが強いほど、悪を攻撃する度合いが強くなります。
善悪が強いと制限が多い
価値観が強い人の世界観はかなり息苦しいです。
「こうあるべき」というルールが強く、多い社会で生きると、すごく制限されている感覚や自由がない感覚が自然に起きます。
価値観が強い人の本性
価値観が強い人は、言い換えると、恐れが強い人です。
「がんばらなければいけない」という価値観があって、がんばらなかったときに訪れるイメージがとても嫌なもので、それを恐れている度合いが強いほど、「がんばるべき」という思いが強くなります。
価値観が強い人の世界観は制限だらけで息苦しい上に、恐れが強いので、不安がたくさんあります。不安だらけだから制限して少しでも安心したいという思いが強いとも言えます。
生きづらいのも当然と言えます。
エゴは自分を善の側に置く
エゴは善悪に分けると同時に、自分を善のほうに設定します。
これも大事なルールなので覚えておいてくださいね。
悪を叩くことで自己正当化する
悪を叩くことで、自分を正当化している側面もあります。
そのため、エゴは批判が自然に起こるプログラムなのです。
白黒つけないと不快
また、善悪思考なので、白黒つけないと居心地悪いのです。
グレーであると、何が善か悪かが分かりません。
善悪をハッキリさせたいのです。
白黒ハッキリ着かない状態は自分がどっちつかずで不安定なため、その状態を不快に感じます。
ネットで批判合戦になる理由
白黒ハッキリ分かって、自分が白で、黒を批判しているとき「自分が正しい」状態です。
このとき、相手の価値観が逆であり、反論が来ると、もう相手は敵です。
自分の正しさが脅かされるわけですから、白黒を逆にされたら困るわけです。批判合戦となります。
インターネットの掲示板で批判合戦になりがちなのはこういう仕組みです。
エゴは巧妙に自分を批判の少ない立場に置く
エゴは批判が少ない状態に自分を置ければ大成功です。
たとえば、社会的弱者は批判しにくいため、社会的弱者を守ろうという主張は反論されにくくなります。
倫理的に正しかったり、正論であればあるほど、反論されにくくなります。
そのため、倫理や正論を盾に自分の価値観で相手を批判することがあります。
自分を絶対的善に置き、批判するやり方です。
これはエゴとしては助かるし、正しさが証明できて気持ちよいのです。
弱者を守ることで加害者になる矛盾
しかし、このやり方は相手に強いダメージを与える酷なものとなりかねません。
無意識に加害者になっており、弱者を守るという立場なはずが、実は相手を弱者に仕立てあげて攻撃しているという矛盾に気づいてください。