「エゴとは何か?」の記事で、エゴは実体がないのに実体があるかのように思っているものであると書きました。
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エゴ=錯覚エネルギー
お札は共同幻想で成り立っている
お札と同じです。お札はまだ紙という実体がありますが。
お札は紙という実体に、ある価値に交換可能というルールを作りました。このルールを皆が信じているから、お札というものが成り立っています。共同幻想があるだけで、実体はただの印刷紙に過ぎません。
エゴもお札と同じ
エゴは実体はありませんが、共同幻想があるため、お札のような実態があります。
ボクはエゴを「錯覚エネルギー」と呼んでいます。
錯覚なんだけど実体があるかのようなエネルギーだからです。
とはいえ錯覚には変わりないので、どうにか実体を作ろうとします。
空っぽな実体を何かで埋めようとするのも実体作りと言えます。
エゴの実体作り=同化
実体作りの一環が、同化です。
同化とは?
エゴは「私」という感覚です。エゴが何かに同化するということは、「私=〇〇」にするということです。
これが同化です。
私=肉体
まず行っているのが「私=肉体」という同化です。
皆さんの肉体は「私」のはずです。
鏡を見ると肉体があります。「私」と思わない人はいないでしょう。
「肉体=私」と信じているためです。
私=思い
他にも同化しているものはあります。
思い、思考です。
皆さんの意識の中にいろんな思考が流れると思います。勝手に流れてくる思考もあれば、積極的に考えるという思考もあります。
この思考に同化します。
私=感覚・感情
肉体感覚、感情にも同化します。
肉体には感覚があります。皮膚感覚、内臓の感覚、身体の内部の感覚があります。
喜びや悲しみなどの感情もあります。それらの感情を感じているとき、肉体の感覚とも連動しています。
喜んでいるとき、胸のあたりが温かい感覚があるかも知れません。
悲しんでいるとき、みぞおちのあたりが締め付けられる感覚があるかも知れません。
感覚の場所や度合いは人によって、タイミングによって変わります。
これらにも同化します。
同化すると巻き込まれる
思考=私。
感情=私。
こうなると、その思考や感情に巻き込まれた状態です。
強い同化は問題になりがち
普段、それが問題になると感じることはないですが、あまりに強く同化すると問題が生じます。
たとえば、怒り狂っている状態や、深い悲しみに陥っているとき、「私=怒り」「私=悲しみ」になっています。
感情を捉えているとき同化は外れている
「意識の中に怒りがある」「怒りという感情エネルギーを感じている」「お腹に怒りを感じる」と感情を捉えているとき、感情と一体化していません。
こんなふうに「気づきの視点」「冷静な目」「俯瞰した洞察」で見ているときは同化が外れています。
このとき、エゴと一体化していない状態です。
価値とも同化する
「私=〇〇」とエゴの実体化を図りますが、エゴは同化した対象の価値と結びつけることをやります。
たとえば、「私=肉体」であれば、魅力がある肉体を自己価値に結びつけます。魅力がないと思えば劣等感になります。
性格や資質、スキルなども同化するため、それらの善悪基準で、自己価値とします。
優れていれば自己価値は高いと感じ、劣っていれば自己価値は低いと感じます。
つまり、自己価値の有無は同化が元にあります。
要は本質的な自分ではないものの価値で「本質的な自分は価値がある、ない」と判断しているということです。
本質的な自分を捉えられていないので無理はありませんが、優越感、劣等感というのはすべて誤解です。