エゴが最も恐れている三大恐怖の一つが孤立の恐れです。
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恐れるときの前提
恐れるということについて考察してみましょう。
何かになることを恐れるとき、その状態になるのではないかと疑っています。
たとえば、遅刻することを恐れているとき、もしかしたら遅刻するんじゃないかと疑い、遅刻することの不安を抱いています。
不合格になることを恐れているとき、もしかしたら不合格になるんじゃないかと疑い、不合格の不安を抱いています。
もし、100%合格する自信があればどうでしょう。
不合格の不安はないはずです。
また、完全に実力が足りなくて、不合格は間違いないと信じているとき、不合格を恐れません。開き直っているからです。
そうであるかもしれないと疑っている
つまり、不合格になることを強く恐れている人は、もしかしたら不合格になると疑っている人で、さらに強く合格したいと思っている人です。
孤立に置き換えてみると、人々は孤立を最も恐れています。
もしかしたら孤立になると疑っていて、孤立したくないと強く思っています。
なぜ、孤立する疑いがあるのかというと、深いレベルで孤立していることを無意識レベルでは分かっているからです。
エゴはそもそも孤立しているもの
エゴの説明で、エゴは存在しないものをあたかも存在しているかのように扱っているものだと書きました。
そのため、非常に孤立感が強いのです。これを専門用語で「分離」と言います。
スピリチュアルでは、これを創造主(創造エネルギー)からの分離と言います。
エゴは孤立していると信じ切っている
無意識の深い意識レベルで、「私は孤立している」と信じています。
そして、孤立したくなくて、つながっていたいという強い衝動を思っています。
これはスピリチュアルの言葉では創造主(創造エネルギー)への回帰の衝動と言えます。
エゴはつながりを求める
意識レベルでは、他者とつながるということをやろうとします。
親とつながる、友達とつながる、恋人とつながる、同僚とつながる・・・
つながっている感覚が得られるとエゴは安心します。
もちろんこれは一時的な表面の安心に過ぎません。しかし、それを求めることを止められません。
つながりが切れると、不安になり、苦しくなります。
どうにかつながりを求めようとします。
つながりは人にとどまらず、モノや行為などにもつながろうとします。
つながりを断たれるのは強烈に苦しい
いじめが人々にとって強烈に嫌なのは、つながりを強制的に断たれるからです。
大人のいじめが村八分でしょう。
会社で自主的に退職に持っていかせる方法が、社員を隔離させてつながりを断つ方法です。
孤立は三大恐怖の一つで、孤立するくらいなら死んだほうがマシ、そのくらいエゴは孤立を恐れています。
孤立しないためのエゴプログラム
孤立しないためにありとあらゆることをやりますが、これらがエゴの行動原理(プログラム)です。
- 誰かとつながろうとする
- 組織やグループに所属する
- 家族という強い絆があるコミュニティを作る
- 誰かから見捨てられないように心がける
- 誰かから嫌われないようにする
- 誰かを不愉快にさせないようにする
- 他者の機嫌を取ろうとする
- 誰かの役に立とうとする
- 誰かにとって価値がある人になろうとする
- 誰かに受け入れられやすい人を目指す
- コミュニケーション能力を高めようとする
- 他者評価、他者承認を求める
- 連帯感を持とうとする
- 仲間を大切にする
- 「私のもの」を増やす・拡大する
- 相手を依存させようとする
- 見捨てられないような保証を求める(結婚など)
- チームや集団を作る
- 共通の敵を作る
- 共通の目的を持つ
- アメとムチを使ってコントロールする
- 見捨てられそうになると相手の罪悪感を刺激して防ぐ
これらが、孤立を恐れていることが根本原因にあるエゴプログラムです
これらのプログラムは一時的にしか緩まない
このプログラムを緩めようとしても根本的には緩みません。
ワークをしても一時的に緩んだり、部分的に緩むだけにとどまります。
ある程度は緩みますのでゼロ百ではありません
「私=エゴ」と認識している限り、エゴは孤立を恐れ、これらのプログラムが発動し続けます。
これらのプログラムから真に自由でいられるのは、あり方がエゴではなく、ハートにシフトしたときです。