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エゴは条件付き
エゴは基本的性質が「利己」です。自己都合です。そのため、真の利他はありません。無条件ということはありません。条件付きです。
お金をもらえず今の仕事をするか?
あなたは仕事をしています。
その仕事を好きでやっていると言うかもしれません。
でも、全くお金をもらわなければ嫌なはずです。
条件付きです。
恋人も条件付きで愛している
あなたは恋人を無条件で愛していると言うかもしれません。
もし、恋人が浮気をしたらどうですか?
恋人が働かないとしたらどうですか?
恋人があなたのことをもう愛していないとしたらどうですか?
愛せないでしょう。
条件付きです。
友達も条件付き
あなたは親友のことを無条件で好きだと言うかもしれません。
どんなときでも味方でいたいと言うかもしれません。
でも、親友があなたにお金を無心したとしたらどうですか?
親友があなたの好きな人に手を出したらどうですか?
条件付きなのです。
エゴは条件付き愛が当たり前
エゴは愛に条件をつけます。
浮気しない限り愛します。
働いてお金を稼いでくれる限り愛します。
SEXをしてくれる限り愛します。
私のことを好きでいてくれる限り愛します。
性格が変わらない限り愛します。
当たり前だと思うでしょう。
そうです。
エゴにとって条件付きの愛が当たり前で、無条件の愛などあり得ないのです。
それを責めないでくださいね。責めるというのは「私=エゴ」と同化しているから起こることです。「私=エゴ」ではなくスピリットです。エゴと同化して自分を責めたり、あるいはエゴそのものを責めるのではなく、冷静な視点でエゴを理解していくことが重要です。
無条件の愛とは?
無条件の愛は、相手が犯罪を犯そうがどうなろうが愛するというものです。
親の赤ちゃんへの愛は無条件に近い
親子の愛は、無条件の愛に割と近い面があります。
大きくなると条件付きですが、赤ちゃんと親の関係は無条件に近いですね。
赤ちゃんはなにもできないのが当たり前で、期待がありません。
なので、どんな状態でも愛せます。
とはいえ、泣きわめいていたりするとその瞬間は愛せなくなりがちです。
条件付きの自己愛
他人に条件付きの愛を適用するということはお分かりいただけたと思います。
他人に無条件の愛など無理だということも分かったでしょう。
それは他人だけでなく、自分にも同様です。
自分にも同じように条件をつけて愛そうとします。
こんな自分なら愛するよ、好きでいるよと条件をつけます。
価値観の理想になれば自分を愛せる
「こんな自分」というのは自分が持っている価値観によります。
「強い人がいい、弱い人はダメ」という価値観があれば、強い自分なら愛するということをやります。
価値観はたくさんあるので、その理想に近いほど自己愛は高まります。
その理想に反するほど、自己愛は低くなります。
無条件の自己愛
一方、無条件の愛は、どんな自分でも愛することができるということです。
仮に犯罪者であってもです。どんな罪を犯してもです。
犯罪そのものを肯定しているのではありません。
人間とは間違うものであり、過ちを犯すものであり、そのあり方の自分を愛するのです。
間違うことで理解が深まり、成長し、真実を発見できます。
「エゴ or 無条件の愛」という黒か白ではなく、実際にはその間のグレーをたどっていきます。少しずつ無条件の愛を学んでいくことになります。