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エゴの愛

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愛というと恋愛の愛をイメージするかもしれません。
あるいは親子の愛をイメージするかもしれません。
または優しさをイメージするかもしれません。

エゴの愛

エゴの愛は条件付きの愛

エゴの愛は条件付きであることを書きました。
条件付き、つまり、都合の愛に他なりません。

自分に都合がよければ愛し、都合が悪ければ愛さない、そういう愛です。

エゴに利他愛はないのか?

では、利他の愛はないのでしょうか?

表面的には利他は存在します。集団利益のためにがんばるのは、利他ですが、それも深いレベルでは自己の存続のためです。集団に価値をもたらすほど称賛され、自己価値が上がります。

メリットがないのに利他をするとき

では、自己価値が下がるのに、利他の行動をすることはないのでしょうか?

実はあります。これがエゴの愛です。

ボランティアは利他

どのようなものかというとボランティアが分かりやすいですね。

ボランティアをして、時間もお金も労力も使って相手のために何かをやるわけですね。

見返りは相手が喜ぶこと。相手のためになること。
そういう意味では条件付きとも言えます。

もし、ボランティアをして、相手が喜ばないとしたらやらないでしょう。
でも、かなり利他に近い形です。

ボランティアの動機は?

では、その動機は何でしょう。

金銭的にも環境的にも満たされている人のボランティアをするでしょうか?

しないですね。

ボランティアが増えるのは、災害が起こったときです。

3.11の震災時にはボランティアの人がたくさん行きました。

なぜ、行きたくなるでしょうか?

災害に遭った人を見て、かわいそうだと思ったからです。
同情したからです。

エゴの愛は同情

かわいそう、同情・・・これがエゴの愛です。

そして、かわいそうな人を助ける。これがエゴがやっている愛情行為で、マザーテレサに代表される行為です。

同情はうれしいか?

同情やかわいそうだと思うことが悪いわけではありません。

しかし、同情やかわいそうは、実はあまりうれしいものではありません。
あなたが落ち込んでいるとき「かわいそう」と言われるとどんな気持ちがしますか?

自分を憐れんで見られている感じがするでしょう。

上から目線な感じがするかもしれません。

幸せな人がかわいそうな人に施しをされているような感じがするかもしれません。

大きなお世話と思うかもしれません。

同情は対等ではない

同情やかわいそうは、対等ではありません。

なので何か違和感があるのです。

相手を弱者に見ています。

相手を「弱者」「不幸な人」というレッテルを貼って見ています。
自分が「救うべき人」になり、弱者や不幸な人を救おうとします。

繰り返しますが、これが悪いわけではありません。
ダメだと言っているわけではありません。

それをすることが問題でもなく、どんどんやっていいと思いますし、むしろ同情からスタートするしかありません。

同情の愛から無条件の愛へ

多くの人がエゴ優位なので、同情の愛になってしまいますが、それは仕方ありません。

そこから無条件の愛に昇華したいと思うでしょうが、いきなり無条件の愛をやろうとしても無理です。
不自然になってしまいます。

同情の愛からスタートしていく他ありません。

「かわいそう」があってもいいです。
相手を弱者と見ても仕方ありません。

そのうえで、できるだけ対等に見ること、相手の力を上げていくような助けをしていくことを心がけていきます。

利他はエゴを希薄化させます。

同情の愛からでもよいので、利他をやろうとします。
そうするとたくさんの葛藤があるはずです。
うまくいかないこともあるはずです。

そこでもがくことが大切です。

そこでもがくことが自分の成長につながり、エゴを緩めていくことになり、無条件の愛が見えてきます。

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