エゴは「欠乏」「足りない」が前提にあるため、外から求めようとします。
エゴが欲しいのは価値があるものです。
エゴの主要プログラムの一つが、自己価値を上げ続けることと説明しました。
Contents
価値があるものを外から集める
自己価値を上げ続けるために、価値があるものを外から集め続けます。
分かりやすいのがお金
分かりやすいのが「お金」です。お金は価値があるあらゆるものと交換できます。お金として持っておけば、必要なときに自分に価値があるものに交換できます。
そのため、お金はあって困るものではなく、もっともっとと欲しがるものです。
若さなどお金では買えない価値も
中にはお金では交換できないものもあります。
「若さ」とか「長寿」とか「美貌」とか「知性」とか「身長」とか「愛」とか「学歴」などです。
ある程度はお金で若さも手に入りますが、限度があります。
エゴは愛を最も求めている
前の記事で、エゴは愛を心の底から欲しがっていると書きました。
これって実感がないと思います。
でも、心の奥底ではものすごく強烈に求めています。
愛着障害
赤ちゃんは母親の愛、スキンシップがないと育たずに死んでしまうと言われています。
もし、幼少期に両親からの愛がほとんどもらえずに育つと心理学では「愛着障害」と呼ばれていますが、生きる上でいろんな支障が出ます。
ストレス耐性が低いとか、愛をもらうことに強く執着するとか、愛をくれなかった人への恨み、反発で生きるとかです。
愛は恋愛の愛だけではない
愛というのは男女の「好き」という愛を思い浮かばれると思いますが、それだけではありません。
一般的には「承認愛」のほうが身近です。
承認愛
承認愛とは?
承認愛とは、相手に認められるという愛です。
分かってもらえたり、評価してもらえたり、信頼してもらえたり、すごいねって言ってもらえたりなどです。
異性や同性から好きって言われないのはとても嫌だと思いますし、好きな人から愛されたいという思いはとても強いものです。
しかし、異性から愛されなくても生きていけないわけではありません。
承認愛がもらえないと
ところが、承認愛が全くもらえないとどうでしょうか。
承認愛が全くもらえない状態とは、あなたの存在そのものを全く認めていなくて、無視されたり、嫌がられたりする状態です。
これはイメージできるものがあるでしょう。
そう、いじめです。
いじめのとき、承認愛が全くもらえず、むしろマイナスの状態です。
この状態が続くと生きていないほど苦しくなるでしょう。
あるいは自分だけ透明人間になって誰からも認識されないというイメージをしてみてください。
これは相当つらいということが容易に想像できるでしょう。
承認愛は必要不可欠
人々にとって自分の存在が承認されているということは生きるために必要不可欠です。
そして、この承認欲求はキリがありません。エゴの性質として限りない欲求を持ちます。
承認愛をどこまでも求めます。
どうすれば承認愛がもらえるか
承認愛をもらえる状況
どういう状態になれば承認愛をもらえるでしょうか。
集団に貢献したら承認愛をたくさんもらえます。
誰かを助けたら承認愛をもらえます。
価値があるものを身につけると(自分の力にすると)承認愛をもらえます。
承認愛がもらえない状況
逆に承認愛をもらえなくなるのは反対の状態です。
集団に害をもたらし迷惑をかけたら承認愛がもらえなくなります。
誰かを傷つけると承認愛がもらえなくなります。
他の人に役立つ能力がなければ承認愛がもらえなくなります。
人々は承認愛をもらうためにがんばります。
承認愛によって自己肯定感が上下する
承認愛をもらえないと自己肯定感は低くなります。自己否定が多い状態になり、苦しみます。
承認愛がたくさんもらえると自己肯定感は高くなります。自信がある状態になります。
自信は他者に依存したもの
しかし、この自己肯定感の高さ、自信は承認愛によって生まれたものです。
承認愛が得られなくなれば自信はなくなります。
つまり、他者承認という他者に依存した自信なのです。
エゴは他人軸にならざるをえない
これは自分の自信のよりどころを他者に委ねたものであり、「他人軸」にならざるを得ません。
しかし、これがエゴのあり方では普通なのです。
エゴのあり方の自己肯定感、自信、自己愛、セルフラブは実はこの状態にしかならないのです。
「私=エゴ」である状態のときに真の自信(自己肯定感、自己愛、セルフラブ)は存在しません。
エゴは「欠乏=愛の飢え」が実態であり、エゴの自信は存在そのものからくる無条件のものではなく、外から何かを満たすことによって得られた条件付きの自信に他なりません。