エゴは「私は孤立」「私は無価値」であることを無意識レベルで分かっていて、それを恐れています。
罪人になることの恐れ
罪人であることを深いレベルで知っている
三大恐怖の残りは「罪の意識」です。
ということは、孤立や無価値の例と同じように考えると、人々はもしかしたら「私は罪人」だと疑っていて、罪人になりたくないと強く思い、私は罪人ではないことを証明しようと必死でもがいているということです。
意識の根底にあるエゴのセルフイメージ(自分像)は、「私は孤立している」「私は無価値」「私は罪人」です。
これらが核にあり、最も恐れています。
恐れを突き詰めていくとほぼこの3つに集約されます。
深い意識レベルにある罪とは?
では、無意識レベルの根底にある罪とは何でしょうか。
これを「原罪」と言いますが、分離したことを罪だと信じています。
つまり、創造主(創造エネルギー)から分離して、私という存在(エゴ)を作り出したことを罪だと思っているということです。
例えれば、親元から自立して実家を出てひとり暮らしすることを、親に申し訳ないと思っているような感じです。
さまざまな罪意識の根底にはこれがあるのですが、意識レベルでは気づけません。
それだけ強く封印しているとも言えます。
罪意識を感じないためのエゴプログラム
さて、人々は罪意識を感じたくないわけですが、であれば、どんな行動を取るでしょうか?
これがエゴのプログラムと言えます。
- 善悪に分ける(二極化志向)
- 二極に分けた後で自分を善の立場に置く
- 「私は正しい」と信じる
- 正しくあろうとする
- ルールをたくさん作り、それを守る
- 既存の社会ルールを強く守る
- 正しさ(私は悪ではないこと)を証明しようとする
- 自己正当化する
- 間違った理由を探し、仕方なかったと納得させる
- 善人になる(人によいことを施す、助ける)
- 間違っているものを叩く、攻撃する、批判する
- 多くの人が正しいと思う価値観(たとえば倫理観)の善の側に立つことを目指す
- 自分を悪にさせた元凶(親、場合によっては神)を恨む
- つまり責任転嫁して「自分は悪くない」とする
- 「私はどうせ罪人だ」と強く自責し、嘆き、他者に「そうじゃないよ」と言われようとする。救ってもらおうとする
これらが、罪意識を恐れていることが根本原因にあるエゴプログラムです。
これらは「エゴ=私」となっている以上、避けられないプログラムです。
こんな感じでいろんなバリエーションがありますが、いずれも罪意識から逃れるための行動(プログラム)です。
これらは本心でやっているというよりも、そう思わされているというか、エゴがプログラムに基づいてそういう思考を自動的に出し、それらの思考を自分の思考だと信じているため、行動に移るということをやっているに過ぎません。
エゴベースで生きている人は、資質や個性が違うエゴロボットとも言えるわけです。