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エゴの性質
エゴの記事で説明していますが、エゴの性質は様々あります。
- エゴは利己
- エゴは群がる
- エゴは価値を高める
- エゴは価値を守る
- エゴは外から価値を満たす
- エゴはアイデンティティを持つ
- エゴは同化する
- エゴは所有する
- エゴは握り締める
- エゴは無限欲を持つ
- エゴは善悪思考(白黒思考)
- エゴは自分を善に置く
- エゴは矛盾(葛藤)を嫌う
- エゴは葛藤を解消しようともがく
細かく見ると他にもたくさんあります。
なぜエゴはこういう性質(プログラム)を持つのか?
なぜこういう性質を持つかというと、エゴそのものが空っぽだからです。空っぽなのに生き延びようとするから、必然的にこういう性質になります。
空っぽなので、外から価値を得ようとします。
外から価値を得ないといけないのは、自分の中に何もないからです。
エゴは錯覚エネルギーなので、仕方がありません。
スピリットについて
しかし、自分の本質であるスピリットは大いなる存在(宇宙エネルギー、創造エネルギー)の一部です。
そのため、創造エネルギーそのものといっても過言はありません。
別の言い方をすれば「人=神(創造エネルギー)」とも言えますが、「エゴ=神(創造エネルギー)」ではないので注意してください。エゴ=神と捉えるとエゴが超肥大化してしまいます。
ボクは、スピリットは無条件の愛の泉につながった状態であると表現しています。
スピリットが主人公のときのエゴの性質
スピリットが主役に出ると、エゴの性質はどうなるでしょうか?
無条件の愛の泉につながっていたら、自分は愛で満たされています。
外から愛や価値を満たす必要がありません。
そのため、価値を持とうとするプログラム、価値を守ろうとするプログラムは不要になります。
満たされているので無限欲もありません。
エゴのほとんどのプログラムが不要になる
自分のことを最優先するプログラムも不要です。
余裕があり、満たされているからです。
孤立を恐れて群がる必要もありません。
満たされた個人同士が、楽しむために集まる感じです。
無条件の愛につながっていても、同化はします。アイデンティティは持ちます。しかし、握り締めません。
自由に使えます。縛られていません。
無条件の愛は、条件をつけません。だから無条件な訳ですが。
なので、善悪を超越しています。
善悪思考、白黒思考、二極化思考をしません。
すべてを無条件で認め、許していますので、矛盾もありません。
不満・葛藤エネルギーが起きにくいです。
エゴの性質(プログラム)はどう変わるか?
そうなると、エゴの性質はどうなるでしょうか?
冒頭で書いた性質(プログラム)はもはや意味がなくなります。
結果、エゴのプログラムは大きく変容します。
必要最小限のプログラムとなります。
エゴは肉体を持って生きるためには必要なものです。
肉体のパートナーなので、エゴが存在するのが自然です。
では、自分の本質で生きられ、無条件の愛の泉につながっているときのエゴはどんな機能になるのでしょうか?
肉体を維持するための機能にとどまるでしょう。
私たちが熱湯に触らないのは、エゴの機能があるからです。
危険を知らせ、回避できます。
車が走っているときに横断歩道を渡りません。
危険を回避する機能が狂っていたら、すぐに死んじゃいます。
ハートシフトはスピリットが主人公へ
ハートシフトは、エゴが最小限になっている状態にシフトするものです。
肥大化して多機能化して自分に合わなくなっているエゴを、自分に合ったエゴに変えることです。
「私=エゴ」から「私=スピリット」であることに気づき、自分の本質、魂で生きることです。
そのためには「エゴ」との付き合い方を変えていく必要があります。
今は、エゴが主人公になっていて、エゴの奴隷になっています。
これを、スピリットが主人公に変え、エゴを使う状態に変えていきます。