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エゴはアイデンティティを握りしめる
エゴはアイデンティティを握りしめます。
アイデンティティとは?
アイデンティティとは何でしょうか?
「私」を表すもの、「私のもの」です。
たとえば、次のようなものがあります。
名前:私は西川佳宏です
性別:私は男性です、私は女性です
年齢:私は18歳です、私は50歳です
性格:私は素直です、私は真面目です
所属:私は個人事業主です、私は○○会社の社員です
職業:私は心理カウンセラーです、私は営業職です
好物:私はラーメンが好きです、私はマンガが好きです
資質:私は繊細です、私は思考力があります、私は身体が固いです
アイデンティティがないと生きていけない
こういったアイデンティティを持つのは当たり前のことです。
アイデンティティがないと日常生活は成り立ちません。
アイデンティティがない人は記憶喪失の人で、そもそも生活することが不可能です。
「私は何者か分かりません」だったら仕事することができませんね。
エゴはアイデンティティが永遠に続くと錯覚する
アイデンティティを持つことは当然ですが、エゴはこのアイデンティティを握りしめます。
これが永遠に続くと錯覚します。
永遠でないのに永遠であるかのような錯覚を持つのもエゴの特徴です。
たとえば、名前は一生同じだと信じています。
でも、改名するかもしれませんよね。
養子に入るかもしれませんよね。
アイデンティティを握りしめる弊害
アイデンティティを握りしめたときの弊害は、アイデンティティによって行動が制約されるということです。その行動に縛られてしまいます。
たとえば、アイデンティティが「真面目な人」であれば、真面目であることに縛られてしまうのです。
不真面目な行動を取りたいときも、真面目な人というアイデンティティに縛られて、不真面目な行動を“無意識に”我慢し、抑圧することになります。
無意識に抑圧すると、抑圧した「不真面目」というセルフイメージが力を持つことになります。知らず知らずのうちに不満が溜まり、どこかにそれが現れることになります。
真面目であることに縛られると、そうじゃない面もあるので、それが反動として強くなり、無意識に不真面目なことをやりがちなのですが、抑圧しているので(意識でコントロールできていないので)歪んだ形で出てしまうのが難点です
また、アイデンティティが「お金を会社からもらう人」であれば、サラリーマン的な発想しかできなくなります。いかに会社お金をもらうかという発想になり、お金を自分で稼ぐという発想に乏しくなります。
これはその人がそういう発想力がないということではありません。
アイデンティティに縛られて発想力が乏しくなっているだけです。
「私は社長である」というアイデンティティを持つと、社長の発想ができるようになります。
社長の視点で考えられるからです。
アイデンティティを握りしめている人は、自分の立場が変わったとき、これまでのアイデンティティのままで発想するのでうまく行かないのです。
企業が中途よりも新卒を優遇する理由
大企業の社長が、パン屋の職人になったとしたら、まずうまく行きません。
なぜなら、プライドがあるからです。
「私は大企業の社長だった」という過去のアイデンティティを握りしめているから、パン屋の職人として必要な視点が得られません。
企業は、3年程度の職歴がある人と新卒では新卒のほうを優遇します。
普通に考えると職歴がある人のほうが即戦力です。
でも、新卒を優遇するのは色がついていないからです。
職歴がある人は前の職場のカラーを持っています。それらを握りしめているので、それが足かせになることを人事は分かっているのです。
ハートで生きる人はアイデンティティから自由
ハートで生きる人は、アイデンティティを握りしめません。
社長で働いているときは社長のアイデンティティで働きます。
パン屋の職人で働いているときはパン屋の職人のアイデンティティで働きます。
過去がどんなものであれ、今を大切にします。
過去のアイデンティティを握りしめません。
過去が首相であれ、大統領であれ、それらを持ち続けません。
ハートで生きる人は、仕事をするときには仕事をし、遊ぶときには遊ぶとも言えます。
仕事をするときに遊ぶことを考えませんし、遊ぶときに仕事のことを考えません。
アイデンティティを握りしめないということは、アイデンティティから自由です。
逆に言えば、自由にアイデンティティを使えるということでもあります。
自分の中に、あらゆるアイデンティティがあることを許し、適材適所として自由に使えます。
握りしめていないというのは、アイデンティティを持たないことではありません。
アイデンティティから自由であり、逆に自由にアイデンティティを使えるということです。