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ハートとは何か?

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ハートとは何か?

ハートのイメージ

ハートというと皆さんはどんなものをイメージするでしょうか?

心臓、気持ち、胸、ハートチャクラ、温かさ、好きなこと、恋愛、愛情、トキメキ、ドキドキ、ワクワク、喜び、楽しみ・・・

ハートで生きることのイメージ

ハートで生きるとはどんなイメージがあるでしょうか?

好きなことをする、好きな仕事をする、本音で生きる、自分の気持ちを大切にする、愛すること・・・

それらはすべてハートです。

ハートシフトのハートの定義

ハートシフトではそれらも含めますが、もう少し違った意味を持っています。

「エゴとは何か?」で説明しましたが、人々は「私=エゴ」であると認識しています。

確かに好きなことをするというのハートと言えますが、エゴの好きなこと、愛情というのは、エゴの都合に左右されるものです。
ハートから来る「好き」や「愛」とは異なる場合が多いのです。
そういう意味で「やりたいこと=ハート」とは言えないケースもよくあります。

私たちの本質はスピリットです。
霊、意識体、純粋意識などとも呼ばれますが、ここではスピリットと呼びます。

スピリットの気持ちというのが「本音」です。
スピリットの気持ちというのが「本心」です。
スピリットがこうしたいという衝動が「ハート」です。

ハートとは私たちの本質であるスピリットの意志、衝動を指します。

ハートは行為では判断できない

ハートは行為では区別できません。

人助けはハートとは言い切れない

たとえば、人助けをしているとしましょう。
これがハートかどうかは一概には言えません。

エゴから人助けをしていたとしたら、それは本当の意味での愛ではありません。エゴの愛、同情から来る行為です。

怒鳴っていてもハートかもしれない

たとえば、人に怒鳴っているとしましょう。
これはエゴではなく、ハートの場合もあります。

ボクは学生時代、あまりお金がなかったので、使い捨てワンデーコンタクトレンズを何日も使っていました。
それを親友に冗談っぽく話すと、親友は本気でボクに怒りました。
それ以降、ボクは二度とそれをやることはありませんでした。

これはハートの怒りと言えるでしょう。
愛から来たものなので、ボクは感謝で受け取りました。

ハートが怒りを使うとき、本当に怒っているわけではなく、怒りを利用しているというのが正確でしょう。
愛でぶった切るということも必要です。

つまり、ハートかエゴかは行為では決まりません。
どんな行為かは関係ありません。

エゴからかスピリットからかが判断手段

スピリットから来た行為はハートであり、エゴから来た行為はエゴです。

エゴは信念やセルフイメージをブラさないがスピリットはハートをブラさない

エゴは自分軸を持ちたがる

エゴは信念やセルフイメージを持ち続けます。
自分軸を持ちたがります。これがコロコロ変わるのを嫌がります。

「自分はこういう人だ」というイメージに縛られます。
結果、信念やイメージから外れることはやろうとしません。
それが自分の本質が望んだことであったとしても。

ハートは柔軟に信念を変える

ハートで生きる人は、信念やセルフイメージを持ち続けません。
あらゆる信念やセルフイメージを許しているとも言えます。
ハートが最優先です。
ハートはブレません。

代わりに、信念やセルフイメージはブレブレにように見えたりします。
でも気にしません。こだわりません。

スピリットの喜びは移り変わります。瞬間の喜びを大切にし、思いにしがみつきません。

ハートの愛とエゴの愛

エゴの愛は都合、同情という条件付きの愛です。

ハートの愛は無条件の愛です。

ハートの恋愛は、相手を条件で選びません。魂・スピリットの結びつきを最優先します。

ハートの仕事は、金銭などの条件で選びません。スピリットがそれをやりたいかどうか、喜びがあるかどうかが最優先です。

スピリットで生きる人はいかなるものよりハートを優先する

エゴは価値や安心が最優先

エゴは生き残ることを最優先します。
価値を高めることを優先します。

エゴはどうしても安心、安全第一です。
好きなことであってもリスクが高すぎると判断したらやりません。
エゴは失敗を強く恐れます。

エゴは価値が低いものや評価されないものをやりたがりません。
興味があることであっても選択肢から除外します。
エゴは目的ない遊びをやりません。

ハートで生きる人は魂を売らない

ハートで生きる人は、いかなる危険があろうが、ハートを優先します。
ハートで生きる人は、お金のために魂を売りません。
ハートで生きる人は、安全のために魂を売りません。
ハートで生きる人は、失敗してもいいので「体験したい衝動」に従います。
ハートで生きる人は、価値が低くても興味があればやります。
ハートで生きる人は、評価されないことでも興味があればやります。
ハートで生きる人は、いかなる障害があってもやります。

いかなるものよりもハートを優先します。

ハートで生きなければ、生きていないと同じだと理解しているからです。
ハートで生きなければ、真の喜びはないと理解しているからです。
ハートで生きることこそ、幸せであることを理解しているからです。

だから、何があってもハートを優先します。

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